よたれそつねならむ

放送大学でぼちぼちと勉強中

二学期第十週:精神看護学第十回 感想

今回の講義は アディクションの看護についての一回目でした。

まずはアディクションの定義や診断基準についての話が初めにありました。アディクションは「依存症」と訳しても良いのですが、講義ではアディクションのままでした。

定義についてはいまさらなので割愛しますが、物質関連の症状と非物質関連の症状、それに加えて対人依存もアディクションの範疇に入るという見方分け方があるというのを改めて提示されると、なるほどと思ってしまった。

 

物質はアルコールや薬物、そのほかにニコチン、カフェインなど体内に何かを取り込む依存、非物質はそれらの物質を取り入れたいという依存? と言われるとなんだかちょっとよくわからないんだけど(笑)。まあ、それらは身体的にも精神的にもアディクションになるんだって事でしょう。

で、対人依存というのはなにかと思ったら「共依存」の事だったんですねえ。これも言われてみれば確かにその通り。

要は、その行為を続けていることで現実から逃避してる状態、あるいはその状態から抜け出しにくくなってることを指していると考えてよさそうです。

う~む、自分の知ってる語と医学用語のすり合わせをしているような感じです。

 

ところで、今回の講義は今までとちがって、脳内の働きがどう、という話は出ませんでした。というのもVTRの中ではアディクションについての説明が三分の一ほどあったあと、アルコール依存の自助グループの活動紹介が行われたからです。

テキストとは違って、現場でどういった活動が行われているかを紹介したいという趣旨だったので、おそらくテキストでは今まで通り脳内の働きなどが解説されてるでしょう。

アルコール依存症の地所グループの活動については、少しですが勉強したことがあります。実際の現場ではなく、アメリカでのアルコール依存症の地所グループ(通称AA:アルコーホリック・アノニマスの略)を知ったのがきっかけで、書籍やVTRを通して知った程度。なので大したものではないのですが、それでも全く知らずに見るわけでもない内容でした。

 

ということで今回の講義のノート取りは今までよりもずっと楽で、終わってほっとした(笑)。たまにはこんな講義があってもいいよねえ^^;。

 

次回はアディクションの二回目で、薬物、ギャンブルやネット依存などになるので、こちらのほうが情報量が多いだろうな。

でも講義も三分の2終わったし、あと少しがんばろっ!

二学期第九週:精神看護学第九回 感想

今回は神経発達症に分類されるいくつかの病症とその看護についてでした。

まずは神経発達症とは何だろうというところから始まりました。あまり聞きなれない症名です。脳の機能障害によって発達に遅れや偏りが生じている病症で、18歳くらいまでに症状が現れるそうです。

でも個別に見ていくと、ああそれがそうなんだと言ってしまう。

主なものに、自閉スペクトラム症、注意欠陥多動症ADHD)などで、一度や二度は耳にしたことがあるものでした。

最近はスペクトラム症関係を動画などでたまに見かけるのでそちらが知られるようになってきたんでしょうかね。何年か前はADHDのほうが何かと耳にしていたような気がしてたんですが、これも時代なんだろうか。

あと、講義の中でこれらの疾患の早期発見、適切な医療機関での判断などを通じて二次障害をいかに防ぐのかというのも大事なポイントとして言われてました。

 

さて、今回も第八回と同じ方が講義していて、流れも前回と同じように進むので、割とすんなりと入ってきました。

病症それぞれでフローチャート的な表を説明に使っているのがわかりやすいのかな。言葉だけの説明よりも視覚でのインプットって有用だなあと思いました。

 

う~ん、すんなりと入って来たと言ってもそれで、すべて覚えたとか理解できたというのとは違います^^;。でも百聞は一見に如かず的な事もあるので、目で見て覚えられるというのは、理解に対する幅を広げてくれます。

今回の疾患における看護でも同じで、相手がわかりにくいことをいかに分かり易いように提示できる中に視覚化という考え方があって、これも同じかもしれない。

 

それと、頭がパンクしそうになった第六回の統合失調症の内容を、今回のような図式化を自分で出来ないものだろうか? 自分の理解が追い付いてないことをどれだけ平易に出来るのか、とちょっと矛盾した事だからなあ。解けない謎解きのようにかなり難しい気がするけど、出来るかどうかやってみるのも復習になるか? 

時間と余裕がある時にやってみたいと思うのでした。

二学期第八週:精神看護学第八回 感想

第八回は4つの症群についての症状と看護についてでした。

4つは不安症群、適応反応症、身体症状症群、パーソナリティ症群。それぞれDMS5ーTRの診断基準に基づいての症状や看護に関しての講義です。

 

前回前々回とは違う先生の講義だったからなのか、それとも講義を進める流れが違うからか?。第六回統合失調症、第七回気分症群のこの二つに比べれば罹患率も低いからなのか、4つまとめても流れ的にも入ってきやすかったかな。だからと言ってすべて理解できたわけでは、勿論無い(笑)。

 

内容的にはどれも脆弱性ストレスモデルを使っての説明と、治療看護について。

この静寂性ストレスモデル(あるいはそれに準じた疾患への理解)は遺伝子系の疾患以外のほとんどに当てはまると思ってたので、実際の現場で使われているのを知ると少し嬉しいな。

 

今回の4つの症群の中では不安症群、適応反応症群、パーソナリティ症群の三つで偏桃体からのノルアドレナリンの過剰分泌が関係している。適応反応はこれに加えてドーパミンの過剰分泌も関係あり。それぞれが視床下部から副腎皮質系に伝達されて血糖値の上昇などにつながる。あるいはノルアドレナリンの過剰分泌が心拍数の増加、血圧の上昇にも関係しているなどなど、偏桃体からの流れなどが共通しているので覚えやすいのかな。

身体症は少し違うのだが、看護の流れとしては近いものがあると思ってもよいか。それと精神看護の中で、認知行動療法薬物療法と並ぶほどに使われている現状も再認識できた。

 

この4つのなかではパーソナリティ症群の看護(対応)が一番難しいなと思ったなあ。パーソナリティ症が知られるようになったのはもう数十年前だったと思う。その頃はいろいろな症状別に取り上げられていたように覚えてます。それが今のDSM5ーTRではA群、B群、C群の三つに分けてるのはお勉強になりました。

その中でいえばB群が一番手ごわいかな^^;。書籍や専門誌で読んだ程度の知識だから個人的な感想だけど・・。(昔でいうところのボーダーラインがここに入ってます)

 

あと、DSM5ーTR(日本語訳)からDISORDERを症群と訳してるというのには少し驚いた。以前はDISORDERは障害という語を使ってました。この「障害」のほうが言語的な意味的は近いと思うけどなあ。

 

日本の文章って、いろんな意味で刺激的な語彙を選ばなくなったよね。それは医学的な書(DSM)でも同じなんだ、と思ったのでした。

二学期第七週:精神看護学第七回 感想

課題を早めに提出したので気が抜けたのか、受講が遅れがち。

 

先ほどやっと精神看護学第七回の聴講が終わりました。相変わらず盛りだくさんな内容でもう一杯いっぱい。頭がパンクしそうな気がしました。

今回は「気分症群(双極性および関連症群およびうつ症群)の看護」でした。

おもなところでは双極症と抑うつ症の診断基準についてDSMー5-TRから。まずは躁エピソードからでしたが、ここからパネルを使っての説明で、さっと流しされてしまう。急いで書くので字も汚いし、聞き逃しも多い。何度も止めて繰り返して聞いて必要だと思うことを書いていましたが、途中であきらめて細かいことは割愛していきました。

結局全部通すのに2時間半はたっぷりで疲れました。

まあ、それでも忘双極症I 型、II型。うん、」ちょっと勉強したよなあ~と思い出せました。躁エピソードは、ざっと通しただけなですが、それほど大きく変わってなかった(追加事項もなかったかな?)抑うつエピソードも同じように感じました。

 

この講義では看護についてなので、そこでの問題として自殺の問題というのが大きく取り上げられてました。双極 抑うつ それぞれにおける自殺リスク要因からどういう傾向があるのかとかなどなど。

 

最後に薬物療法と併用して行われる認知行動療法が出てきた時は、正直ほっとしました(笑)。心理臨床系の内容ですからね~。こちらはそれなりに馴染もありますし^^。

とは言っても臨床心理士ではなく、看護師としての立場からの認知行動療法の例が出てきました。あと、やっぱりなんですが、認知行動療法って診療報酬にポイントつくんだ~って改めて思った(笑)。

 

この後数回は症群別の講義なので、まだまだ頭を酷使しそうです。

 

頭が飽和状態になると、今までタブレット使ってた癖がでて、パソコンの画面を指で触ってポインターが動かない??あれ、って何度もやってました。

はぁ~、私の頭大丈夫だろうか? なんちゃって^^;。

二学期第六週:課題提出 精神看護学第六回の感想

11月6日から課題提出期間になりましたので、今回は早々に提出を済ませました。

受講は2科目だけですが、それでも随分気持ちが楽になりました。

課題はその時点でどの程度理解してるかの確認だと思ってますので、提出後の解説も必要な点を書き取ったり、そこそこ時間をかけました。でも解説で「テキストを参照してください」と一言だけ書かれてるのはなんだかな~って感じですが^^;。

なのでパソコンを閉じてからテキストやノートをじっくり見直したり、該当の放送授業を見直したり。

内容をしっかり覚え知識として残すためにも、じっくりとやらないとなあ。

 

さて話は変わって、精神看護学の第六回感想です。

こちらは聴講してるだけの科目で課題も試験も無く気楽ではありますが、今まで受講してきた幾つかの科目を総合したような内容でかなり深い。看護師資格のための精神医学的なレベルに準じての内容なので、その分深いというか細やなんでしょうね。

 

今回は「統合失調症スペクロラム症および他の精神症群の看護について」でした。今までは総論的なものでしたが、今回以降は疾患単位での授業です。

さわり程度の知識はある(つもり)で、ある程度ついていけてると思ってます。時時々、別に勉強していた内容が出てきたりもします。今回だと「精神疾患におけるドーパミン仮説と脆弱性ストレスモデル」が出てきました。が、この講義ではこのあとが詳細なんですよね。

そういった細かい部分も、ひいては疾患に対する視点がどうあるべきかにつながってきています。それは最後に講師の方が言っていたことも現れていると感じました。

 

「どの程度の個性が病的で、どこまでが正常として良いのか。あるいは異常心理は本質的に異常なのか。それとも多くの精神の病態は正常反応の延長線上にあるのか。私たち看護師は常に考え、どのように向き合うべきものか、日々、当事者の方に寄り添いながら考え続ける。それが重要になります。」

ざっと聞き取りで書いたので多少言葉が違うかもしれないけど。そしてここでは「看護師」とあるけど、全てのケアを行う人の持つべき視点だと思います。

 

これを自分なりに簡単に言えば、「正常ってなんだろう?」と考え続けること、そしてそれに対してどうあるべきか。

正常とそうでないものの違い。さらにかみ砕けば「普通」とそうでないものの差がどこにあるのか? どこまでが普通なのか?

そしてこの言葉は今まで折にふれてそういう事を考えてきた自分に対する励ましにもなる。もっとも、精神医学の立場ではなく、臨床心理とそこから哲学的な面からですが。

 

一人の人間としても、他者の尊厳や、個の尊重をその考えの中に映していかなくてはいけない。でもこには確固たる答えはない。だから難しいんですよね^^;。

なんてことを思った第六回の講義でした。

 

う~ん、まだまだ先は長いなあ。